つれづれ日記

何者にもなれない、何者にもなりたくない、とか言っている。

一杯のコーヒーを巡るコンビニバイトでのミス

 自分の至らなさや無力感を実感すると、気分が落ち込みますよね。最近、「またか」と思うようなそんな出来事があったので、自分を振り返りつつ、悲しい出来事を成仏したいと思います。

 

 コンビニでバイトをしていることは以前のブログでも書いたと思いますが、12月にもなり寒くなると、とにかくコーヒーがよく売れるんです。

 そして、コンビニのカフェマシーンにもメンテナンスが必要で、一日一回の清掃時は販売することができない商品が発生します。

 私は、あまりカフェ担当になったことが無く、清掃の仕方もおぼろげにしか把握していませんでした。しかし、なぜかその日は、私が清掃をやることになっていて、一つのカフェマシーンを清掃することに、かなり時間を要してしましました。

 カフェマシーンは二つあるのですが、もう一つの機械を清掃しようと部品を取り外していたところ、「これ入れられますか?」と一人の女性が話しかけてきました。

 その女性が手にしていたカップは、私が清掃に取り組もうとしていた機械でのみ販売しているものでした。本来は、レジで販売を断るところを、私の周知不足でレジの方は対応したのだと思います。部品を取り外したばかりだったため、「少々お待ちください」と言って、もう一度付け直して販売しようと思いました。

 ごく簡単なことです。しかし、部品を取り付け終えたと思っても機械は販売モードになってくれません。女性は、「販売できないんですか?」とイラついたように私を急かします。他の店員に助けを求めようとしましたが、帰宅ラッシュの時間で、皆が長蛇の列を裁く対応に追われていました。心の中で、「落ち着け~」と思って試行錯誤しても、機械は販売モードになってくれず、、。イラ立つ女性に、「少々お待ちください」としか言葉が出てきませんでした。

 女性を待たせたのは、店が混雑していたほんの数分のことでしたが、「もういいです!」と手に持ったカップを、勢いよくカコンと置いて、退店していってしまいました。

 軽い音を立てて置かれた空っぽのコーヒーカップ

 私はその光景に、ただただ無力感でいっぱいになりました。お金を払って買ったのにコーヒーを飲むことができなかった女性も、店員としての責務を果たせなかった自分も誰も幸せになっていません。もうあの女性は二度とこの店を利用しないかもしれませんし、嫌な思いをさせてしまったことは事実です。

 女性が退店してすぐ、お客さんの波が途絶え、落ち着いて機械を見てみると、機械の上に置いておいた、内部に組み込むはずの小さな部品を発見しました。

 こういうところが私のダメなところです。落ち着こうとしても、切羽詰まった状態のときに冷静に物事が進められなくなってしまう。

 私がカフェ清掃に慣れていたら、、。カフェ清掃すると店員に良く周知してたら、、。スムーズに部品の取り付けができていたら、、。他の店員を呼ぶことができたら、、。そんなことを頭の中でぐるぐる考えてしまします。

 この事件の被害者は紛れもなく、コーヒーを飲むことができなかった女性なのですが、「お客さんがもう少し待ってくれていたら、、」と思う気持ちにもなります。しかし、彼女の殺気立った雰囲気に圧倒されてしまった、というのは言い訳ですし、保身に走る言葉なのは承知です。

 だから私は、落ち着いて行動できる人間になりたいです。私の力不足が招いた結果であり、落ち着いて行動していればお客さんが怒って帰る、という最悪の結果は回避できたはずです。

 仕事は慣れも必要ですが、どんな状況であっても冷静に対処できる力が欲しいです。

 以上、私のダメなところ、そして一杯のコーヒーを巡る悲しいお話でした。言葉にして整理して、成仏させていただいてありがとうございました。

ぬるっと投稿してみる

お久しぶりの更新です。
この間何をやっていたのかというと、何もやっていなかったですね。
そういうこと言うとカッコ良いと思っているイタイ人です。

季節はぶるっと寒くなって、どれだけブログを放置していたか思い知らされます。
冷気が家の中に入り込み、廊下へと続く扉を開けたくないこの頃です。
布団の温みから出たくなくなるこの頃です。

また適当に更新するかもしれません。
以上、よろしくお願いします。

来世は絶対地獄行き

コンビニでバイトしていると毎日のように廃棄がでます。

お弁当、おにぎり、サンドウィッチ、スイーツ等々、、。

 

まだまだ食べることのできる食材たちを薄暗く、湿ったゴミ箱へ放り投げる仕事。

その仕事をしていると人間でごめんなさいという感情が湧き上がってきます。

私がしている行為は、その商品を製造した業者さんや、商品を運んでくれたトラックの運転手さんなど、商品のために働いてくれた全ての人の仕事を踏みにじるものだと感じ、その人たちに対しても罪悪感でいっぱいになります。

来世は地獄だなあと感じる瞬間。黙々と商品をゴミ袋に入れるとき。

 

でもこの仕事をするまで食材の廃棄の実態に触れることはありませんでした。

お店はいつも清潔に保たれ、消費者には光の部分だけを見せるのが資本主義ですよね。

コンビニが見せてくれるのは社会の縮図そのものです。

資本主義が作り出す弱肉強食の世界であり、陰影が濃い。

そして毎日、何時でも平然と陳列された商品たち。この光景を当たり前と思う人の方が多いでしょうか。

 

廃棄されるのは、まだ食べることのできる商品です。食べ物に困っている人にあげたいし、廃棄を持ち帰りたいと思うバイトも多いです。だけどそれができない。

目の前の光景に目を向けるのではなく、「決まりだから」という上の人たち。

食べ物があったら捨てずに、分配して生きてきたのが人間なのではないですか。目の前にあるものを信じたいのに、何を基準に行動してよいか分からなくなります。

 

その一方で、消費者としての自分も食品ロスの歯車の中にいる。

この仕組みの中で食の豊かさを存分に享受して生きてきました。

だって私、食べることが大好きだから、、、(`・ω・´)、、、、。

コンビニも大好きです。

 

この世に生まれた食材すべてが、誰かのお腹におさまる世界が良いなあ。

この主張が綺麗ごととして流される社会が、将来変わっていくことを望みます。

何かアクションできたらかっこいいけど、今の私には何一つできていません。

ただ、今日もコンビニ店員として社会の歯車となるだけです。

 

 

 

深夜に家の鍵なくした大学生がとる行動

先日部屋の鍵を無くしました。しかも気づいたのがバイト終わりに帰宅した23時頃!

もう絶対絶命ですよね、、。

 

いつも入れているポケットに鍵が入っていない!

ウソでしょーー。どっかに落としてしまったのかと思いを巡らせる、、。

いつもと違うところにしまったのではないかとバッグの中をひっくり返して確認。

でも無い!!

 

あーそうか、ないか。無いもんはしかたない。とりあえずアイス食べよ。こんな状況でも帰宅途中に買ったアイスを呑気に食べている自分に心底笑えてくる。

だってアイスが溶けたら意味ないし、一旦落ち着こうという名目ですよ。

こういうところで自分の悪いところというか、良いところというべきかが垣間見えてしまいましたね、、。いや、絶対悪いところですね。

 

結局大家さんに電話したらスペアキーを持って駆け付けてくれて事なきを得ましたが、とんだ迷惑住民になりました。

大家さんに「夜分遅くに本当にすみません。ありがとうございます。」とボキャ貧すぎる言葉で言ったら「いいからいいから」と光の速さで消え去ってしまって全く感謝も謝罪もする余地を与えてもらえなかった。

今度手土産でも持って謝罪とお礼をしようと思います。

 

あと大家さんが来るまで、アパートの前にいたんだけど、ダンゴムシがいました。

夜の街灯に照らされて動いてた。

「お前はこうやって夜を生きてきたんだ」夜に一匹孤独なダンゴムシ

「自分は部屋で速攻クーラー付けて寝るだけなのに偉いなー」って。

 

ダンゴムシの孤独と自分の孤独、どこか重ね合わせた夜であり、人のやさしさに触れた出来事でした。

 

自由で豊かな孤食の世界

一人暮らしをしていると必然的に一人でご飯を食べることが多い。

 

世間では一人でご飯を食べることを”孤食”というそうですね。

そして、”孤食”という言葉にはネガティブなイメージが強い、と思う。

 

しかし、孤食には自由で豊かな面もあると思います。

そんな孤食の世界に対する私の見解を紹介します( •̀ ω •́ )✧

 

まず、好きなものが食べられるということ。

友達と大学で食べる昼食も美味しい。けれど「この日はカフェのパスタじゃなくて学食の定食が食べたかった」ってなことを感じることもあります。そんなとき、孤食の"選べる幸せ"を感じます。

 

次、時間を気にしないということ。

私にとって小学校、中学校の頃の給食の時間は、どれだけ早く咀嚼するかということだけで頭がいっぱいになっていました。給食自体は本当においしくて好きだった。けれど、お弁当箱いっぱいに盛られた白米を目の前にして、限られた時間で食べることは私にとっては容易ではありませんでした。班ごとに机をつけて顔を見合わせて食べるのですが、口は食べるためだけに動かしていましたね。(笑)

その点、孤食は自分のペースで食べることができる。美味しいものを”味わえる幸せ”があります。

 

最後に、食べるときに何をしていても良いということ。何をしてもというと語弊を感じますが、。

ここまで孤食の良さを挙げてきましたが、なんといっても一人の食事は味気なく感じることがありますよね。だから家ではテレビや動画を見ながら食べることが増えました。家庭によってはタブー視されていることかもしれないですけどね。ソロ暮らしの特権でしょう!他にも最近は、ラジオやポッドキャストを聞きながら食べることにハマっています。テレビなどに比べ、視覚が邪魔されないため食べることに集中できて、満足感も高まります☺️

 

あと、食事のお供にと新聞で紹介されていた動画です。

サムネだけですでに好きなのですが、傷心したときに使うと癒されそうですね(❁´◡`❁)

 

www.youtube.com

この動画はこんな孤食の在り方があるのかという驚きを与えてくれました(笑)

 

時々誰かと食事をすることももちろん楽しいですが、一人の食事の時間も気楽で悪いものではないような気がします。ということで以上、私の自由で豊かな孤食の世界に対する見解でした。

お読みいただきありがとうございました☺️

 

幼稚園の頃に毎日神社で祈っていたこと

こんにちはー。

いつの間にやら、久しぶりの投稿になってしまいました💦

連日真夏日となる中でみなさんお元気にお過ごしでしょうか。

本日は七夕らしいですね!☆彡

 

だから私も短冊を書かされたであろう、過去の願い事について考えてみようと思います。

幼少期の頃の私の願いは「恥ずかしがり屋さんが治りますように」でした。

登園する途中に神社があったのですが、毎日そこに手を合わせて祈っていました。

 

その頃の自分は、園で他の子のように話したかったけど何を話せばよいのか分からなくて本当に無口な子どもでした。

家での自分と、外での自分、二人の自分がいるように感じて、新たに現れた外での自分に違和感しか感じられず、その人格を封じ込めようと祈っていました。

家での自分が本当の自分のはずなのにどうして、外では同じように振舞えないのだろうと本気で悩んでいました。

また、自分は一つしかないはずなのだから、異なる自分がいるのはおかしいと思っていました。

 

みなさんは自分の二面性を感じることはありましたか。そして、いつそれを受け入れることができるようになりましたか。

私はその自分を受け入れるまでに時間がかかりました。

それは、他者に「静かだね」と評価される自分を好きになれなかったから。

今考えると、「子どもは明るく、元気であれ」という大人が作り上げた像に自分が当てはまっておらず、疎外感を感じていたからかもしれません。

先生やクラスメイトからの、「静か」「おとなしい」という言葉で一本線を引かれる気がしたのです。

 

しかし高校、大学と進学するにつれ、そんな悩みどこかにいっていました。

周りもいろいろな人がいて価値観も様々な環境は楽しいものです。

私は最初から二面性なんて持っていなかったのかもしれません。どこにいても誰といても自分は自分だったのです。そのことに気付くまでにずいぶん時間はかかりましたが。

 

だから今悩んでいる子がいたら「心配しないで大丈夫だよー」と伝えたいです。

個性を認めてくれたり、自分の良いところに気付かせてくれる人にきっと出会えると思います。

 

小学校の頃の先生が「先生も昔は心配されるくらい静かだったから大丈夫!!」と言ってくれ、当時は、「こんなに明るいおばさんが?!」と思ったのですが本当に年を取るにつれ人は変わると実感しています笑

 

以上、七夕の日に思い出す、過去の願い事でした🎐🌟⭐

ドクダミのにおい

先週の日曜日。とある村へ行ってきた。

 

初めて車ではなく公共交通機関を使って向かったのだが、その村へ向かうバスは1日数本であった。

小雨が降る中、田んぼ沿いにポツンとある小さなバス停に降りた。朝の8時半過ぎ頃のこと。その村は、田んぼと民家を囲むように生い茂る木々が生み出す冷んやりとした空気に満ちていた。雨粒がもんもんと白いミストのように木々と混ざり合い、細かな水滴となって空中に浮遊しているようだった。その光景、その空気は以前昼下がりに訪問したときとはまるで違うものだった。

私は傘を差し、バス停から歩みを進める。するとふと、ドクダミのにおいがして立ち止まった。見ると歩道の端に青々とハート形の葉が生い茂っている。

臭覚を刺激したその匂いは、「ドクダミ」という言葉が浮かぶのと同じくらいの速さで私の記憶を呼び起こした。

田舎で暮らしていた祖母の記憶。祖父と祖母の暮らす家には、春休みや夏休みを利用して遊びに行っていた。祖父母の暮らす田舎も山が近く、よく山に散歩しに行ったりもした。祖母は私や兄弟が蚊に刺されると、「これが一番効くからね。」と決まって常備しているドクダミの葉を一枚丸めて汁を絞り出し、赤く膨れた皮膚にあてるのだった。

幼かった私にはそれが祖母の持つまじないのように感じられた。畳の上に座らされ、祖母の手が施す仕業によってかゆみが自然と収まる気がした。ドクダミが放つ、少し苦みがある独特なにおいは、私のそんな記憶を呼び起こさせたのだ。

 

こんなことを書いていると、また思い出す。

 

夜になると暗闇の中で音が響いて怖い古時計、

祖母の摘んでくる赤く実ったほおずき、

いつもみんなで食べた祖父の作るてんぷら、

山からの湧水がきらきらと流れる小川、

いつも撃退されていたカメムシ

私が何度もやってとせがんだ神経衰弱、

祖母が急須で入れる番茶、

「お天道様になたぶつけて」から始まる、祖父が歌う絵描き歌、

決まって祖父母と遊びに行った小さな小さな公園、

受験期に会いに行かなかったこと。

コロナ禍で会えなくなったこと。

おじいちゃんが入院したこと。

ビデオ電話で病院にいるおじいちゃんと話したこと。

おじいちゃんのお葬式。

最後におばあちゃんと電話したこと。

おばあちゃんのお葬式。

 

書いていてあふれ出した涙は自分の大きな後悔。

あのとき、コロナ禍になるって分かってたら会いにいってたよ。

やっと会えた時、二人は眠ったように優しい顔してた。

「ありがとう」って言ったの伝わったかな。

 

初めて、あの場所ではないところでドクダミのにおいを感じた。まるで、祖母が近くにいるような気がした。すると、今までなんとなく良い場所だと思っていたその村が、祖父母の暮らした田舎に見えてきた。確かに、考えてみればすごく似ている。錆びれた道路やぽつんと佇む小さな商店。なんで今まで気づかなかったんだろう。

 

ドクダミから視線を上げ、私はまた歩き始めた。

二人は私の中に確かに生きていた。

それが嬉しかった。

ずっと忘れたくない。

二人とともにこれからも歩んでいこうって思った。