幼稚園の頃に毎日神社で祈っていたこと
こんにちはー。
いつの間にやら、久しぶりの投稿になってしまいました💦
連日真夏日となる中でみなさんお元気にお過ごしでしょうか。
本日は七夕らしいですね!☆彡
だから私も短冊を書かされたであろう、過去の願い事について考えてみようと思います。
幼少期の頃の私の願いは「恥ずかしがり屋さんが治りますように」でした。
登園する途中に神社があったのですが、毎日そこに手を合わせて祈っていました。
その頃の自分は、園で他の子のように話したかったけど何を話せばよいのか分からなくて本当に無口な子どもでした。
家での自分と、外での自分、二人の自分がいるように感じて、新たに現れた外での自分に違和感しか感じられず、その人格を封じ込めようと祈っていました。
家での自分が本当の自分のはずなのにどうして、外では同じように振舞えないのだろうと本気で悩んでいました。
また、自分は一つしかないはずなのだから、異なる自分がいるのはおかしいと思っていました。
みなさんは自分の二面性を感じることはありましたか。そして、いつそれを受け入れることができるようになりましたか。
私はその自分を受け入れるまでに時間がかかりました。
それは、他者に「静かだね」と評価される自分を好きになれなかったから。
今考えると、「子どもは明るく、元気であれ」という大人が作り上げた像に自分が当てはまっておらず、疎外感を感じていたからかもしれません。
先生やクラスメイトからの、「静か」「おとなしい」という言葉で一本線を引かれる気がしたのです。
しかし高校、大学と進学するにつれ、そんな悩みどこかにいっていました。
周りもいろいろな人がいて価値観も様々な環境は楽しいものです。
私は最初から二面性なんて持っていなかったのかもしれません。どこにいても誰といても自分は自分だったのです。そのことに気付くまでにずいぶん時間はかかりましたが。
だから今悩んでいる子がいたら「心配しないで大丈夫だよー」と伝えたいです。
個性を認めてくれたり、自分の良いところに気付かせてくれる人にきっと出会えると思います。
小学校の頃の先生が「先生も昔は心配されるくらい静かだったから大丈夫!!」と言ってくれ、当時は、「こんなに明るいおばさんが?!」と思ったのですが本当に年を取るにつれ人は変わると実感しています笑
以上、七夕の日に思い出す、過去の願い事でした🎐🌟⭐